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人類最大の無駄、あるいは人類最大の天賦を巡って

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ここのサイト(人によっては気分を害する内容もありますので注意して下さい)
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↓前書きもとても素晴らしいです↓



奇界遺産 2010年1月20日発売
人類最大の無駄、あるいは人類最大の天賦を巡って


美術大学を出て写真の仕事などをしながら、世間的にはオカルト研究家という、よくわからない人生を送ってきた私が、長らく考え続けてきたことがある。それは一体<芸術>や<オカルト>が、この世界においていかなる意義を持っているのか、ということである。この世界における存在意義、それはこの際、有用性と言い換えてもいいだろう。スプーン曲げであれ、古代ギリシアの彫刻であれ、チュパカブラであれ、現代美術のよく分からないオブジェであれ、この世界に存在し、それを必要としている人々がそれなりに存在する以上、そこにはある程度の有用性や、意味があると考えるのは、決して間違ったことではないはずである。


しかし長い間、それなりの立場から芸術やオカルトに関わり続けてきて、それでもなお思うのは、やっぱり<これって本当に必要なんだろうか>という疑問だったのだ。必要、というのはもちろん根源的な意味である。この世界にあった方がいいかどうか、とかそういうレベルの問題ではない。大げさに言って、それが人類の存亡にとって必要かどうかという意味においてである。なぜなら自分が一生関わるかもしれないような事が、人類にとって全く意味もない、大いなる無駄であるとは、誰だって思いたくはないはずだから。


そんな青年期特有の悩みを抱えながら図書館で悶々と「アトランティス大陸」について調べていたとき、私はたまたまある興味深い話を目にした。現代オカルト界の巨匠、コリン・ウィルソンが人類の進化について綴った『アトランティスの遺産』のなかで、こんな事を言っていたのである。「ネアンダルタール人が滅び、現世人類たるホモ・サピエンスが生き残ったのは、洞窟のなかに獲物の壁画を描き、それを槍で突くという魔術的行為を行ったからである」。ここでいう壁画というのは、言うまでもなく、あのフランスのラスコーの壁画を指している。今から三万年前に滅びたネアンダルタール人の遺跡からは、埋葬の痕跡といった精神文化の萌芽こそ見られても、壁画までは発見されていないというのだ。


壁画、すなわち<芸術>であり<魔術=オカルト>の始まりであるそれは、その時点において、いわば<究極の無駄>であったに違いない。岩に絵を描き、槍で突いてみたところで、お腹が満たされるわけでもなく、むしろエネルギーの浪費にしかならないのだから。最初に岩に絵を描いて槍で熱心に突ついていた奴は、多分、仲間内から狂(猿)人扱いされたはずである。しかし結果的には、この絵を描くという狂気じみた行動を通じて、狩猟の成功がただの運任せから期待を伴う予知的なものとなる。やがてそれがある段階で自然の法則と連動し、制度化したものが、祈りや儀式となった。


その結果、このホモ・サピエンスは儀式を通じて未来を想像する力(ビジョン)を獲得し、安定した狩猟の成功や、自然の変化に対応することが出来たから、現代まで生き残ったというわけである。つまりはじめは<究極の無駄>として生まれた呪術的想像力こそが、他の動物たちを押しのけて、生存と進化へ向かう道を切り開いたというわけだ。無論、多くの識者達が口を酸っぱくして指摘する通り、青年期の悩みにコリン・ウィルソンは劇薬、すなわち<混ぜるな危険>である。しかし私はこのアウトサイダーならではの大胆な発想に、大きな感銘を受けたのだった。


<芸術>と<オカルト>、一言でまとめると<余計なこと>には、実は人間を人間たらしめてきた謎が、もしかしたら隠されているかもしれないのだ。確かに現代においても、人間だけがUFOやUMAを見るし、変な建築物やオブジェを作るし、見えないものを見えるといい、そこにないものを信じてみたりする。しかしこの事実をラスコーの逸話に例えるならば、これは、人類最大の無駄どころか、むしろ人類に与えられた最高の天賦である可能性すらある。つまり<余計なこと>、それは人間が人間であるために、絶対的に<必要なこと>だったかもしれないのである。


以上の試論を踏まえた上で、私は「現代のラスコー」を探すべく、旅にでた。世界各地を歩き、この<奇妙な想像力>が生み出した<余計なこと>を、ひたすら探し求めたのである。それは一見して合理性に邁進し、<余計なこと>を次々と排除していくように見えるこの世界にあって、実は今も絶えず、呪術的な想像力が生きているという仮説を、自分なりに検証する作業だったと言ってもいい。だからもしこの試論が正しければ、本著に集められた場所、人、物の数々は、そんな呪術的な想像力、言うなれば、<余計なこと>をする能力が最大限に発揮された、人類の隠された遺産の数々だと言うことが出来るはずである。<奇妙な想像力>が作り上げた<奇妙な世界=奇界>。そこには今もまだ「壁画」が描かれ続けているのだろうか。


佐藤 健寿

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